般 若 心 経

 最近不思議に思うことがある。例えば経典に於ける藐(ミャク)と(コン)。これは紙の裏表、或は右手と左手のようなものなのであろうか。藐(ミャク)はマコト、(コン)はヨコシマ、正と邪。正反対の意味でありながら少なくとも漢訳の仏典では何故か混用され。千五百年この方どちらを書いても同義と扱われ、異を樹てた人のあることは絶えて聞かない。
二つの文字で異なるところは皃(ボウ)と艮(コン)であるが、皃(ボウ)は頭の大きな人の姿、ミタマヤを表す象形文字であり、艮(コン)は目の下に小刀で入れ墨をした(目+アイクチ)邪眼に合って退く意。そこから根性のひねくれたさまを表す会意文字である。具体的に藐(ミャク)が経典のなかでみられるのは阿耨多羅三藐三菩提(アノクタラサンミャクサンボダイ)の成句である。これは「これ以上ない正しい悟り」のことであるから、もし藐(ミャク)でなく(コン)と書かれているとすれば「これ以上ないヨコシマな悟り」と解釈せざるを得ない。 
悟りにヨコシマがあるのかどうか知らないが、古くは五世紀の法華経如来神力品断片・龍谷大学蔵。王羲之集字聖経序(六七二年建立)石碑。奈良時代八世紀の奈良・隅寺心経。平安時代九世紀、真跡集字空海書般若心経。高野山金剛峰寺蔵・紺紙金字法華一品経。比叡山延暦寺蔵・紺紙銀字法華経。平安時代後期、厳島神社・国宝平家納経等、本来「藐」であるべきはずのところに「」が用いられている経典が綺羅星の如く伝わっている。
なかでも、六七二年建立、玄奘三蔵を讃える心経碑文がの経典であることは文字の国、中国であるだけに信じ難い。一体何を意味するのであろう。
もっとも、江戸時代の人、良寛和尚の心経は行書体の「藐」を採っている。現代の大奇人、榊莫山に読経の声の流れをイメージしたという奇抜な字配りの心経作品があるが、流石にミャクにはきちんと「藐」を当てている。ところが伝統的に一点一画もおろそかにしない楷書体で書かれた現代の書展の写経に「」の字が多いのはどうしたことであろう。ちなみに漢和辞典に「」の活字体は無い。「狠」はねじけで、「茛」(毛茛)はきんぽうげ、毒草である。
仏教には諸法実相という言葉がある。正邪は対であり、合掌は浄・不浄の両手が合う。一時期百万巻写経なるものが流行し、人々はその功徳を念じ端座浄書した。本人が清明な心で写経すれば邪教と書いても真実の悟りとなりうるのであろうか。将に皃即是艮(ボウソクゼコン)だ。一体誰が何時の間に何の目的でハッカーの如くしのび込ませたのであろう。仏教東伝以来「藐二千年」の不思議である。  
                         一九九九年九月九日
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